慶應義塾大学 理工学部 機械工学科

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中島克美

修士課程終了後、以前お世話になったNKK(現JFEエンジニアリング)時代を含め、多くの国を渡り歩いてきました。石油パイプライン建設のためにケニアのサバンナを走り回っていた頃に始まり、マレーシア、インドネシアでもその国の基幹となる石油・ガスパイプラインの建設に携わってきました。

現在の会社に移ってからはFPSO(Floating Production Storage and Offloading system 浮体式海洋石油・ガス生産貯蔵積出設備)の設計、施工、保守を行うために、インド、中国、オーストラリア、シンガポール、ブラジルの各国に長期滞在し業務にあたってきました。洋上での石油生産は、これまで難しいとされてきた深海に進出するようになり、設備の複雑化に伴い一隻で1000億円を超えるFPSOも珍しく無くなってきました。巨大化した設備のなかでも、設計、施工、保守のすべてにおいて常に議論の中心は機械工学の基本です。金属の疲労破壊、腐食に強い材料選定、ポンプ内のキャビテーションや配管内のエロージョン、コンプレッサーやガスタービンに関する知識等々。学生時代に習ったことのオンパレードです。諸先輩方がおっしゃるように、私ももっと勉強しておけば良かったと感じるのはそんな問題に直面した際に、原因を特定し、解決方法を自ら導かなければならないときです。

当社は世界中に2500人を超える人員を抱えますが、日本人は200人程度しかいません。国境を越えてエンジニア達が競っています。英語はできてあたり前というところからスタートします。アジアを初めとする途上国のエンジニア達も非常に優秀です(ある意味では日本人より)。人種のるつぼのような仕事場で、日本人のエンジニアとして何を武器にするのか、個人だけでなく、教育を初めとした日本の国力も問われているような気がします。 一方で世間一般には知られていないものの、特許も公開せず他社に真似できない技術でスマート(問答無用に高い価格を提示、維持できる)にビジネスを展開している会社も多くあり(特に北欧に多いような気がします)、日本が向かうべき方向に示唆を与えてくれます。

大学時代は研究室の仲間達とよく旅行に出かけました。卒業してからもしばらくの間、毎年のようにスキー旅行に出かけていました。実はそこで、現在の妻とも出会いました。研究室の同期の奥さんの姉と私が結婚することになり、研究室の同期と義兄弟というとても珍しい関係になりました。これも研究室の先輩方、同期と仲がよかったからかもしれません。卒論、修論提出前夜のお祭り騒ぎのような熱狂を今でも思い出します。研究室の学生、修士の全員がそろって卒業できるように、本当に全員で徹夜を繰り返しました。よく間に合ったものだと今でも思います。

私の機械工学科での日々は、エンジニアとしての基礎を築いてくれただけでなく、恩師、諸先輩、同期という貴重な財産を与えてくれたと思っています。世界のどこかで、慶應機械工学科のOBとして皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。

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